今の日本の体制の基礎にもなっていた!!明治維新の改革を見るとわかる、明治政府の意図は?!

 

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 明治政府の基本方針「五箇条の御誓文」

戊辰戦争で、新政府側が幕府軍に勝利した後、明治政府は江戸の体制をどのように改革していったのでしょうか??

1868年4月、明治政府が新しく発足するにあたって、明治天皇から政府の基本方針、「五箇条の御誓文」が発表されます。

 

 

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これは明治天皇が発表したというよりは、明治天皇は当時まだ16歳でしたので、文章自体は福井藩士・由利公正が起草し、長州藩木戸孝允が編集をして成立しました。

これは天皇が神々に誓う形をとって発表され、天皇が国の中心であることを示し、公の議論を尊重した政治を行い、国民が団結して国を繁栄させることを掲げています。

 

 

 

6月、明治新政府は、アメリカ合衆国憲法福沢諭吉の「西洋事情」(福沢諭吉著)などをを参考にして、政府組織のおおすじを書いた政治体制を公布します。

 

 

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西洋のやり方も入れつつ、日本に合うどのような政治組織を作ったかというと、祭祀を行う神祇官と政治を司る太政官とに分けられた古代日本の政治体制を取り入れて、中央にすべての行政を集中させる中央集権国家を目指しました。

それで、太政官を最高官庁として、太政官の権力を立法・行政・司法の三権に分けて、さらに6省に分けて、2官6省の政治体制を創りました。

 

 

 

江戸時代の幕藩体制、明治には内閣制度が発足

それまでの江戸時代の幕藩体制では、3万石以上の大名は城を持つことができ、徳川将軍に忠誠を誓う大名たちは所有する領地と、その領地の人民と行政組織を合わせた「藩」の統治を任されていました。

それで、大名は行政権、立法権司法権、徴税権をもっていたので、今のように所得税国税として中央政府に納めるのではなく、藩の領地からの年貢は全て藩の税収として使うことができたことから、中央集権国家ではなかったとも言えるのです。

 

 

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政権を武家徳川家から朝廷に返す大政奉還(↑)が行われた後、1867年、京都御所の小御所会議にて、天皇の下で薩長の人たちによって最初の新政府が発足されてから、近代的憲法が出来上がって内閣の議会が開かれるまでには、およそ20年ほどかかっています。

例えば、明治国家が内閣制度を発足させて、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのは、明治元年から18年になった1885年でした。

その4年後の1889年に、「大日本帝国憲法」が発布されました。

そして、第1回衆議院議員選挙が行われて、第1回議会が召集されたのは、さらにもう1年たった1890年のことでした。

明治政府となった薩長の人たちが、新しい国に作り変えたい・・・そう思ってから、一国の制度を全く新しく作り変えるまでには、随分と時間がかかっているのですね・・・

 

 

 

明治の改革、版籍奉還と廃藩置県、そして富国強兵

明治政府は、藩による領地と人民の統治体制を終わらせようと、まず版(領地)と籍(人民)を朝廷に返上させる版籍奉還を行いました。

版籍奉還を願い出た藩主は、新政府から知藩事という地方行政官に任命されました。

けれども、依然として藩は残っていて、これでは日本国内の政治がまとまらないと考えた明治政府は、1871年、廃藩置県という制度を行い、その字の通り全国261の藩を廃して県を定めました。

 

 

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全国3府302県がまず置かれ、同じ年の末までには3府72県となりました。

 

 

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このほか、富国強兵というスローガンを掲げて、小学校教育の改革、徴兵令、税制の改革、官営模範工場の建設、交通や通信の整備、貨幣・銀行などの金融制度の整備などが進められました。

 

 

 

 まとめ

江戸時代のように鎖国をしていれば、藩ごとに違う政治をしていても良かったかもしれません。

でも、西洋の国が様々な国を植民地化していて、最後に日本も植民地化しようとしていた時代であったので、そうならないためには国の中で法律・政治・軍事を一か所でまとめて、西洋と対等に付き合っていける強い国作りを考えたのかなと思います。

今の時代は江戸時代と比べたら、食べる物も着るものも全てが進んでいて新しくなっているように感じるかもしれないけれども、明治政府が作った内閣の組織も、府県の体制も、今の日本の体制の基礎になっているんですね。