明治以前、大きな戦争がなかった理由と、鎖国体制であった日本に訪れた大きな変化とは?!

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明治以前、世界との戦争が無かった理由としては、江戸幕府が、日本人の出入国及び貿易を管理・統制・制限した対外政策、”鎖国体制”をとっていたことも一番の要因だと思います。

 

 

もっとそれ以前の江戸時代やその前の戦国時代、日本と世界との関係や、戦争に使用される武器はどうだったのでしょうか。

江戸以前や江戸時代ころ、日本以外の世界の国から見るならば、物理学・化学・生物学・地球科学・天文学などの自然科学を理解して、それを用いた産業が発達しているのは西洋の国であって、アジアである東洋の国はそれほど発達していないと見なされていたようです。

ところが、日本での武器分野は劣っていたわけではないようで、1543年、ポルトガル人を乗せた中国の船舶が種子島に到着したことで最初の伝来とされている「鉄砲」があっという間に九州や日本のほかの国にも移っていき、改良した鉄砲の大量生産が行われていきます。

 

 

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具体的に、鉄砲を使った有名な戦いとしては、戦国時代の1575年、長篠の戦(↑)で、少ない軍勢であった織田信長はたくさんの鉄砲を備えていたことで、武田の軍勢を破ったとされています。

外国から入ってきたものを直ぐに吸収して、より良いものを作るという能力に優れていたことが伺える一面だと思います。

 

 

その後、キリスト教を容認していた織田信長の時代が終わると、キリスト教を容認しない豊臣秀吉徳川幕府の時代が訪れます。

徳川幕府の時代にも、明治以前の一揆としては最大規模のキリシタンによる島原の乱が起きたことで、それを抑える目的や、徳川幕府を倒す勢力が台頭しないようにという目的もあったのか、武器を作ったり改良する分野、物理学・化学・生物学・地球科学・天文学などの科学の進歩を止める方針を、幕府はとりました。

これによって、およそ260年間の江戸時代は、科学の進歩が止まっていたと言われていますが、農業などの技術の進歩は許されていたので、平和的な時代であったとも言えると思います。

しかし、そんな自然科学の発達が止まっていて、尚且つ鎖国をしていた日本に、1853年、アメリカの艦隊を引き連れてペリーが来航します。

 

 

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そのとき、アメリカの情報を必要としていた幕府に、アメリカとのやり取りがうまくいくように陰ながら協力したといわれている日本人が、よく知られているジョン万次郎です。

ジョン万次郎は土佐の漁師であったのですが、ある時、太平洋を彷徨って難破していたところを、アメリカの捕鯨船に助けてもらったと言われています。

そして、アメリカ人の船員に交じって仕事をしたりして、積極的に言葉を覚えていったそうで、その船の船長に気に入られたそうです。

それで、商船の学校に通わせてもらったそうで、その学校では首席となった言われています。

語学にも長けていたジョン万次郎が学校を卒業後、捕鯨船の船長に選ばれて、アメリカで仕事をしていたという状況から、鎖国体制をとっていた当時の日本人の中では、アメリカの事情をよく分かっていた人ではないかとされています。

しかし、日本に残してきた母にも会いたいと思っていたこともあり、どうしても日本に帰りたかったそうで、鎖国をしている日本にそのまま帰るわけにもいかず、最初は沖縄に上陸したのだそうです。

当時の沖縄は薩摩藩の管轄でしたから、上陸後、薩摩藩から取り調べを受け、そして薩摩藩島津斉彬のところに連れていかれました。

すると、島津斉彬がジョン万次郎にいろいろと質問すると、造船に関する知識や語学に優れていると判断されて、その後、江戸幕府長崎奉行所に送られます。

そこでは、あまりに英語が出来すぎていて、なおかつ日本語があまりしゃべれなかったために、スパイ容疑をかけられたことから、世に出て活躍することはあまりなかったのだそうです。

ですが、アメリカでは大統領にも会っていたというジョン万次郎が、江戸幕府の取り調べなどで言った、”アメリカは日本を取る気はありません”という情報は、幕府がアメリカとの交渉を判断するのに影響していたと言われています。

 

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ジョン万次郎